今日で国勢調査完了

  • 今日は休日出勤で国勢調査の総仕上げに取り掛かった。いろいろあったが今日で調査票のチェックが終わり総務課に提出した。どういったことがあったかは守秘義務に関わるから言えないけど、とにかく終わって思ったことはただひとつ「二度と引き受けねー」これに尽きる。
  • カルロス・クライバー指揮のヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」のDVDを見る。「こうもり」はドイツ語圏のオペラ・ハウスでは大晦日に必ず上演するオペレッタである。僕はウィーンのシュターツオーパーとフォルクスオーパーと東京で見たけど、なんといっても「こうもり」の醍醐味はアドリブである。そのときによってまったく違ったアドリブが男優や女優によって展開されて、「今回はどんなアドリブが出てくるのだろう」と期待しながら見るのである。できることなら大晦日と元旦だけでいいからウィーンに行きたい。
  • 大学の任期制について

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20051109ddm016070061000c.html
上記の新聞記事では大学の任期制導入が既得権益打破の手段のように語られているけど、実際のところは大学上層部(政治力のある教授)たちの既得権益擁護に使われていることも忘れてはならない。確かに若手に用意される任期制の職は3から5年のものが多いが、教授クラスになると10から15年任期で再任可という任期が多く事実上任期などあってないようなものである。それに私は文学部系の学科で任期制導入はかえって文学部系をおかしくすると考えている。というのも文学部というところは学問的なレベルよりも「こいつ気に入った、あいつ気にくわねー」というレベルで物事が決まることが多い世界だからだ。だいたい人文系でセクハラで教官が懲戒処分を受けるというのは、本当にセクハラをしたからだけではなく、学内政治的にいてもらいたく人間を追い出す口実にそのセクハラ行為が使われるからということ(要は被害女性のことなんかはどうでもいいと考えているのである)を考えても任期制導入で文学部系は大変なことになるだろうなということは想像に難くない。

 マルクスはその著書「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」のなかで自分たちの立場を理解せず、反動に利用されていったプロレタリアートたちを軽蔑の意味を込めてルンペン・プロレタリアートと呼んだが、今の日本のニート、フリーターはそういった意味では現代のルンペン・プロレタリアートと呼ぶべき連中であることは間違いない。自分たちから正規の職に機会(ポスト面と能力面両方で)を奪い、不安定な職ばかりが与えられ、自分たちが社会的な存在として必要なもの(郵政関係や健康保険、年金)をなし崩しにされているにも関わらず、自分たちがどういった立場にあるかを理解しようとも勉強しようともせず、かっこよく見えるだけで実際は自分たちをまさしくこういった立場に追いやった張本人を支持するのである。「社会など存在しない、存在するのは個人と国家だけである」という状況になったときいったい誰がいちばんひどい目にあうのか?