新自由主義者=非国民という思考(1)

 この国において自由を信奉するものは、少なくとも「非国民」という言葉を使用することを極力慎まねばならない。しかしながら作家にして起訴休職外務事務官 佐藤優氏の「新自由主義は国家と国民を弱くする」という言葉を聞いて、普段から思っていた「新自由主義者または新自由主義めいたことをいう人間は、すべからく反ナショナル・非ナショナルである」という小生の考えを吐露したくなった。
 昨今は経済合理性の名の下、産学連携や民営化、合理化、格差の拡大が進み、それに合致しないものは無視されるか切り捨てられるかのどちらかにある。とりわけ社会に貢献しないまたは利益を生み出さない共通教養なるものは切り捨てられ、その代わりに出てくる共通の符号はお笑いのネタであったり、または「空気を読め」とかいった、お笑い芸人どもの世界の常識である(「空気を読め」というこの言葉が持つ匿名性の暴力は、さながら実態がよくわからない強制収容所がその国に住む人間にもたらす暴力支配と同じぐらいの統制力を持つ)。その国に共通教養や紐帯となる「神話」「物語」を提供すべき文学者や文学研究者はおらず、代わりにあるのはオタクの自己満足、それも「自分探し」というキーワードによって経済合理性に絡めとられたサブカルチャーばかりである。(次に続く)