各地の大学での非常勤講師大量解雇

 nosemさんのブログを見ていて興味深い選択肢があった。
http://d.hatena.ne.jp/nosem/
①研究は辞めるけど,きちんと給料が貰える仕事についてまっとうな生活をするのと,②非常勤とか任期付き職だけど,安アパートに独りで住んで食費を切り詰めながら研究をする生活,どちらが幸せなんだろうということだが、独文と仏文(いまや英文もそうなりつつある)に関しては②の選択肢はないに等しい。②についてはこう訂正する必要がある⇒②’専門で学んだことは生かせないうえでアルバイト(もちろん大学のポストではない、ブルーワーカーもあり)なんだけど安アパートに独りで住んで食費を切り詰めながら研究をする生活という選択肢になる。②’は②に比べると経済的だけでなく自尊心やプライドの面でもはるかにつらい。実際に埼玉大学をはじめ多くの大学でドイツ語やフランス語の専業非常勤講師がクビを切られ、唯一の収入源であった非常勤の職を40歳あたりで失って否応なしに②’の状況に追い込まれていく人が増えている。
http://66.102.7.104/search?q=cache:eF0tAxPq_gMJ:f47.aaa.livedoor.jp/~hijokin/hikaeshitsu/anteroom0053.pdf+%E5%9F%BC%E7%8E%89%E5%A4%A7%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E5%8B%A4%E8%AC%9B%E5%B8%AB%E5%A4%A7%E9%87%8F%E8%A7%A3%E9%9B%87&hl=ja
 しかも私の知っている人の中に行方不明者や自殺者も出ている。それも元助手や非常勤講師ばかりである。皆弱い立場の人間ばかりである。私は言いたい。大学という場ではもう10年前から新自由主義的な「改革」が行われてきた。そしてその新自由主義的な「改革」の名のもとに行われてきたことは、極論をいってしまえば弱小専攻や「不要な専攻」のレッテルを貼られた専攻の淘汰を引き換えにした「実用的な専攻」の肥大化であり、強い立場の人間のよりいっそうの強化と弱い立場の人間のよりいっそうの弱体化であった。この現実を見てきた人間として、やはり昨今の新自由主義的な風潮には危機感と倦怠感をもたざるをえない。
 また少なくともこういうことはできるだろう。専業非常勤講師や院生の多大な犠牲のうえで自分たちの保身をはかることしか考えない人たちだけによって成立するドイツ文学やフランス文学を決して認めることはできないと。そういった専攻なら一度なくしてしまったほうがいい。