大学院を振り返って2 およびその他

okagou2005-05-08

1 シシィ(主演ロミー・シュナイダー、カールハインツ・ベーム 1955-1957)
 ヴィスコンティ監督の映画にエリザベート皇妃役で出てくるロミー・シュナイダーがデビューしたての頃の映画で、シシィが皇帝に見染められ、結婚して后妃となり、皇太后の嫁いびりにも負けず暮らして行くというストーリーである。オーストリアでは今日でもたまにテレビで見ることができる。ストーリーはエリザベートの生涯を知っている人間ならだれでもわかるような簡単なものであり、音楽もドイツ人が聴いたら喜びそうなもののオンパレードである。ちなみにロミー・シュナイダー自身はこういったシシィのイメージで見られるのを非常に嫌がっていて、シリーズ4のときは目の前に大金を現金で積まれても 出演を断ったとのこと(結果シリーズ4はお流れとなった)。
3枚1組でも30EURという手ごろな値段だったので昔買ったものをゴールデンウィーク中に見た次第である。ドイツ語字幕(聾唖者用)があるのでドイツ語の勉強には最適でしょう。映画好きが見るものではないということだけは断っておきますけど。


2「ドイツ文学はこんなところだった」という場合、自分が在籍していたドイツ文学研究室の場合、他大学もそうとは限らないし、逆に日本におけるドイツ文学の世界という場合、3年しかいなかった自分がそんな大それたことをいえる資格がないのは重々承知である。したがって自分がこれから書くことはこれまで自分がドイツ文学分野に関して見聞してきたことで客観的な事実であるといえるものを列挙し、付記的に自分の大学の研究室であった事実を記述する。
① 破局的な就職状況
 前の日の日記でのべたとおり、独文は大学院重点化以前からポスドク問題が慢性化していた。それは1990年代から大学で教養部、教養課程が廃止され、それに伴いドイツ語が必修外国語からはずされていき、その結果ドイツ語のポストが激減したことに由来する。それ以前は旧帝大早慶クラスでは修士課程を修了すると2,3の語学教師のポストを紹介されるのが普通であり、今となっては信じられないことだが、地方国立大の大学院、明治や立教、日大の院をでた人でも就職先があったくらいだった(今ではまったくないらしい)。ところが教養部の廃止によってそれまでの人手不足から逆に人余りになってしまい、現在の40代前半の人あたりから今までの就職状況がうそのように就職難になってしまった。自分が所属していた大学で独文、ドイツ語の教師で常勤のポストを持つ40代の人間は一人いるかもしくは皆無である。ほぼ全員が50代以上の人間であった。学会に出ても常勤の職にあったのは50代以上の人間だけであり、40代以下はみな非常勤講師や学生だけであった。大学院の重点化と第二外国語のコマ数の削減はこういった状況をさらに悪化させ独文を壊滅状況に追いやっただけといえるかもしれない。
 情けないことに各地のドイツ語教師の大半はこういった動きに追従し、ドイツ語教育を放棄し後輩である専業非常勤講師のクビをきることに一生懸命であったことを付記しておく。

 詳細は新潟大の三浦淳先生のHPをご覧あれ。
新潟大学・三浦淳研究室
 

② さらに破局的な留学状況
 上記のような状況でも、たとえ口に糊する程度の収入しかなくても自分はドイツ文学の研究を続けたいという素晴らしい人たちがいるのは間違いない。ただこういった人たちのやる気をそぐのが現在の留学のための奨学金の状況である。あまり詳細には触れたくないので(触れたところで利益もない)簡単なことをいえば、とある特定の大学以外の人間が、交換留学協定以外で奨学金付で留学することは宝くじで一等を当てるのと同じぐらいの困難さがあるということだ。つまりその特定の大学に所属できず、自分の大学に交換留学協定校がなければ完全自腹で留学するしかない。英米圏と違い、ドイツ語圏は授業料がただか、あっても日本の国立大の半分以下である。
 しかしアルバイトができない以上もちろん留学に関する費用としてまとまった金を日本で用立てねばならない。しかしそんなことは学生支援機構からの奨学金(=借金)とアルバイトでかつかつの暮らしをしている普通の大学院生には無理な話である(日本には授業料があっても、アルバイトをして稼ぐことができる)。結果就職も留学もできず、論文も書かずただ無為の日々を過ごす独文の院生は結構な数になる(自分もその一人だったけどね)。旧西独時代の豊かな頃にDAADの奨学金をもらって留学した教授、助教授たちは留学のための奨学金の斡旋や交流協定締結もしないまま、無責任に「ドイツに留学すれば」というだけであった。
 もちろん育英会のお金を貯めていくという手もある。しかしそれは帰国後借金となって跳ね返ってくるものであり、現在の独文の就職状況および親の金でドイツ語圏に留学しているお金持ちの子弟の日本人がたくさんいることを考慮したら、そんな行為は宝くじに全財産を投じるようなものである。
 ドイツ文学でドイツ語圏に奨学金付で留学したければ
A.上記の特定の大学に入学する(特定してごらん)。
B.ドイツ語圏の交換交流協定校をたくさんもち、かつ文部科学省からの奨学金の割り当てが多い大学に行く。
C.専門をオーストリア、スイスに馴染み深いものに変え、オーストリア政府、スイス政府の奨学金をゲットする。
 以上3つの選択肢をとる以外にほとんどないでしょう(ないとはいわないけど)。

③ 就職できても・・・・
 非常に困難な状況を潜り抜け仮に就職できたとしても、今の第二外国語がおかれた状況ではそれも安泰とはいえない。採用された当時はドイツ語の授業があったとしても、時が過ぎてドイツ語の授業がなくなって英語や別な科目の教師にされている、ひどい場合は授業もなく飼い殺しにされてしまうこともありうる。


④ 輸入されない現代文学
 今みなさんはここ数年現代ドイツ語圏の作家の小説が翻訳、出版され、それがベストセラーになる、そこまではいかなくても大学生の間で広く読まれるということがあるだろうか?答えはノーである。今の職場で自分の先輩と会う機会に恵まれ、その先輩は「ドイツ文学に未来はないね」といっていたが、その理由としてあげたのが上記の事実であった。ただそれは日本のゲルマニストの責任だけではないということを述べておく。


 機会があったら自分がドイツ、オーストリアに行って感じたことを書きたいと思う(ていうか負のエネルギーを出すのはもうやめにしたい)。それから自分が今の職業に転進したときの出来事を振り返りそれを書きたいと思う。自分と同様の転進を考えている人の参考になればと思う。