わかりやすいというのは最上のものなのか?

 まあ愚痴と思って聞いていただければありがたいのだが、私が嫌悪感を催す言葉のひとつとして「わかりやすさ」を挙げている。もちろん「わかりやすい」というのは受け手にとっては苦労せずに済むという点でありがたいし、また「わかりやすい」言葉はコミュニケーションを円滑にするものである。また「わかりづらい」ことをいう人は言っている本人が言っている内容を自分で理解していない場合も多々見受けられる。しかしそういったことはあくまでも共通理解や一般教養、一般常識をきちんと兼ね備えた、それなりに思考力のある人たちの間だけで成立することである。共通理解や基盤のないところでいくら「わかりやすく」説明しても受け手にはわけのわからない「難しい」ことであり、もしそんな状況で「わかりやすい」言説があるとしたら、それはたいていの場合ごまかしやうそである。共通理解や一般教養が成立するために人々はそれなりにわかろうとする努力が必要なのであり、だまされないために思考力を鍛える必要がある。その上での「わかりやすさ」なら大賛成である。しかしそれとは逆にそういった努力や鍛錬を拒否する人たちに「わかりやすい」ものがまかりとおるのなら、そんな「わかりやすさ」にはきっぱり「ノー」をつきつけたい。